昭和46年05月23日  月次祭



  今日午後の奉仕をさせて頂いておる時でありました、日田の高芝さんがお参りになって、昨日から日田は何ですか川開きですかね、大変日田全市上げての賑わいがあって、夜は花火大会と云う様な催しが、昼はまあドンタク的風なものがあるらしいです。所がこちらでは昨日からああいうお湿りで御座いましたから、其処でですねこう云う其の日田を上げての全市を上げての、まあお祝いと言うか賑わいと言う時には一つ合楽にねぇ。
 そのう日田の市民が、お願いに行く様な風にすると良いとこうまあ、高芝さんが言われたんです。そしたらある方が言われるのに、「もう日田んやっとん、汚れはてとるとにその、神様に御願いしたっちゃ、何の神様が聞かっしゃろうかい」っち言うちから言われたとか。ところがそげなん事無かっち、この神様はなら、汚れとりゃその聞かっしゃらんっち、云うごたる神様じゃないと言うて、それこそそれどころじゃなかよ。やっぱり一日田の市民として願わにゃいけんなぁと。
 まだそん時はまぁだ、どんどん雨が降っとりました、それから帰られた頃から上がってから、えらいこう天気になりましたから、まあ今日は花火大会が有っておるかどうか知りませんけれども、まあ有っておるんじゃないと思うんですけどね、このう金光様の御信心を頂いて、こげなんああその、悪い事をしよるからお願いしたって駄目だとか、と言うたらもう人間はそんなに完璧に、神様が「はぁあれは素晴らしか」っち言うごたるとばっかりおるはずはないですからね。
 まあ言うならば、「正直者が馬鹿を見る」と云う、むしろなら正直者の方が馬鹿を見ておる様な時代なのですから、だからやはり汚れておろうが、悪い事をしよろうが、よりおかげを頂きたいと思うならそれは天候の事ですから、天地が自由になると仰せられる神様なのですからね、やはり願わなければいけない、いやそん時に高芝さんに申しました、「合楽の月次祭にお湿りがあった事がない。」
 もしあるとすると二日前に三日前に必ず、月次祭があぁ今度十日が降りましたでしょう、十八日かだから今度二十三日も降るんだと、また降らなければ可笑しいんだと云う様な、は私は頂き方をしてるんです、お天気になりましても、どんくらいお天気が続くと、そう云う所にまあ微妙な御神意を、まあ計り知る事の出来ない御神意だけれども、まあそれを計り知、知らせて頂きながら、神様の間違い無さを頂いていっておるのが、まあ合楽の、おぉ私を始め皆さんだとこう思うと。
 「だからなぁ今日は、まだお湿りがなからにゃ、今日は此処の月次祭じゃけんね」っち「そればってんか日田の方達も困りよるなさろうけん、うんなら神様お願いします」っち、云う様な、まあ冗談のような、お取り次ぎであり、お取り次ぎをさして頂いたんで御座いますけれども、神様はねやはりおかげを下さっておると云う事、是れはまあ皆さんでもそうでしょう。本当にお願いをしておかげを頂くと云う事は、人間が良いとか悪いとかと云う事とは関わり合いがない。
 本当は「あの人は仏様の様な人じゃ、神様の様な人じゃと言うても、次々難儀な事が起こって来るとどうしてと云う様な事があろうが」と、「信心しておかげを受けるのは別物じゃ」と、仏様のようなけじゃなくても良い、鬼やら蛇の様な人でもかんまん、信心しておかげを受けると云う事は別物じゃと、泥棒でっちゃお願いする、ね、泥棒あたりを奨励する訳じゃないけれども、ね。
 ある時に玉水の湯川先生の所に、そのある泥棒がお参りをした、それで「今日はいっちょ何処何処に入りたい」とこう言う「よしそんならお願いをする、そんかわりもうびくびくどんしてから入るな」っち仰った「もう正面から堂々と入って行け、ちゃんと神様にお願いしてあるのじゃから、ね、その替わりにもうこれを限りぞ」と、泥棒はと言うてお取り次ぎをなさったという、まあ本当の話か嘘のような話ですけれども、しかしその真理を付いたお話だと思うです、ね。
 私共が鬼やら蛇のようであって良いと、伊湖とはないけれども、私共の心の中には鬼がすんでおる蛇がすんでおる、浅ましい心があるのです、ね、だからおかげを受けられんと言うたら、それは私はもしおかげを下さらんと言うなら、親神様じゃないとね天地の親神様、しかも金光大神のお取り次ぎの元に、で御座いますからおかげが受けられる、その泥棒は、ね、丁度しせわすの大晦日の日であった。
 大きな質屋さんをねらったそりゃぁもうそれでその、出入りでも遅うねそれから表から提灯点けて堂々と入った、あの門の方から、ね、皆さん中ん事はもう質屋の質草をあっちやったりこっちやったりどんどん整理がありよるとこじゃった、それで「皆さんご苦労さん」っち言うちから、大きなふろしき持って行って、それをはいこっち貰いましょうっち言うちから、全部包んでまた堂々と門から来て帰ったと云う事です。
 提灯点けていて提灯点けて帰った、ね、だから泥棒でもやはりですね、そのお取り次ぎを頂いておかげが頂けれる、神様のそりゃ本当にそうですよ、もう三角関係の事やらにでもお願いなさいますと、もう誰ん気付かれんごたる具合にやられるとが金光様の御信心です、(笑)それで皆がようと知らんもんじゃけんすぐばれちから、不意でもねそれこそもう家庭悲劇が起こる。
 お取り次ぎを頂いてちょっとすりゃおかげが頂けれる、そして三人三様おかげが受けられる、それぞれに立ち行くおかげが受けられる、と言うて皆さんにね、その三角関係をまた奨励しよるとじゃないです、そう云う神様だと云う事なんです、だから地獄に行くっち云う事はないっち云う事、私共が求める処やはり、和賀心では、その和賀心を求めて求めて求め抜き、今月今日只今で祈りに祈って願うて行かなければ、ない程しにあるのが和賀心なんだ、和らぎ賀ぶ心ってのはその様に難しい。
 その和らぎ賀ぶ心に頂けるというおかげこそ、神様が喜んで下さる氏子も喜ばれる、お取り次ぎをして下さる金光大神も喜ばれると云うおかげなのだ、ね、ですから只今私がさっき申しました様なのは、ね、でないと泥棒は神様を分からん、不土六なかんっ、関係を作っておる人達が、ね、信心をしとって後ろ儀を刺されるような人達が、ね、本当に其処からおかげを頂かなければ神様が分からんから、ただおかげを下さるだけの事、言うならば駄々をこねるからおやつを下さる様なおかげである。
 だから勿論そう云うおかげに甘んじておってはならない、泥棒はこれ限りぞと、それは神様を分からせたい、此処にこう云う親神様があるんだぞと分からせたい一念が、その様な事にまで相談に乗って下さるのが神様だと私は思う、日田の者が汚れに汚れはてとるから、汚れてはてとる者どんがお願いしたっちゃ何の聞かっしゃろうかいと言うた人に対して、そう云う事じゃない、お願いすればおかげが頂けれる、ね。
 それは天地の降る照るの事に至るまで、お願いをしておかげが頂けていけれる道なのだ、ね、だからと言うて、うんなら汚れはてておる事が自慢でもなからなければ、汚れはてている浅ましい心を持ち続けておると云う事で、良かろうはずはないので御座います、ですからどうぞ今申しました様な事を、誤解せずに頂きませんとね、もう帰りがけいっちょ其処ん、あそこにいっちょ入ってみろうかっち云うごたるこっちゃいけませんからね。(笑)。今日前講をこの三男幹三郎が努めておりました。
 あの人は此処へ立っただけで、皆がこれ何それがもうお話が中々あの人は出来ませんのですけれどね。その何と言うですか実があるですね言う事にね、例えば今月の合楽の信心の焦点は「真心とは神様が喜んで頂く事だ」と「親先生が仰ったからその事に取り組んでる」っち申しましたね、「神様に喜んで頂くと云う事は、喜んで頂く事はと、御祈念の時に御理解を頂く、はぁそげんすりゃ喜びなさると云う事とが分かるから、それを行じようと思うけれども、体がなかなか言う事を聞きません。」
 と言うておりました、ね、それでもなお捨てずやはり取り組んでおると言うておる、まあその話を後やら先やらにお話をしておりましたが、ね、私も聞きながら感動した、ね、すんだ後に佐田さんが、此処へ出て見えられてから、「本当に今、幹三郎さんのお話しを頂いておって、何が何ちや話は分かりませんでしたけれども、もう兎に角感動致しました」っち、私はね分からせるとかね。
 話しが上手だとかと云う事じゃないと思う、相手に感動を与えられると云う程しのものじゃなかにゃきけんと云う事、ね、今度の日田の御大祭にあたって昨日、日田の麻生さんがこんな事を言うておられました、この度は大変おかげを頂いて、とりわけ竹内先生のお話しを頂いて、もう本当にいよいよ合楽の信心の素晴らしさが分からして頂いたと、何十年間真の信心はないものか。
 本当に自分の師匠として仰がれる師匠はないものかと、もうそれこそ全国あんぎゃせんばかりに、あそこに徳の高い先生が御座ると言や、あそこに良い教会があると言や、全部訪ねたお話しを聞いて回ったっち言う、けれどもいわゆる心に、所謂謹撰に触れるものがなかったそう云う時たまたま、当時の椛目の話を聞かせて頂いて私は三回伊万里から椛目に都度、素足を踏んだっち私はその当時おらんっちいう筈はないのに。
 兎に角おらん日ばかりをその目当てに来ちゃるわけ、目当ておらんっち云うて目当てじゃなかったろうばってん、其処が神様だ、本当にどれ程神様がこの氏子が、合楽、当時の椛目に一念を燃やしておるか、本当に分かりたい分かりたいと言う一念があるかいなやを試されたのでしょうね、私はそう思います、そして四回目に初めて親先生にお合いした時に、「竹内さん人情を捨てて神情で生き抜け。」
 と言う御理解を、今もはっきり自分の心の中に頂いております」と、「私の金光大神は、合楽の親先生だ」と言われた、合楽の素晴らしい事を説かれ話された、それを聞いてまだ信心が浅い麻生さんが感じられた、有り難い処に縁を頂いたもんじゃあるなぁと云う事、ね、そして合楽の竹内先生の話を聞いて、いわゆる合楽の信心が分かり、金光様の御信心がまあ分からせて頂くお話であったと。
 いわゆるその後に親先生が少しばかり説明、ああご挨拶をなさったね、竹内先生のお話で分からして頂いて、親先生のおかげお話で助かったと言うておられますね、話を聞いて助かると言うのはそれなんだ、だからなら幹三郎がここで、後やら先に何やらかんじゃ言いよる分からん様な事を、だけれども自分がこの一月間本気で取り組んでおる事をですね、皆さんに聞いてもらおうとした、そしてその取り組むけれども。
 その事の難しさを皆さんに聞いてもらおうと思ったのでしょう、ね、それを佐田さんはばっちりと受け止められた、もう兎に角、おかげでっ、感動で受け止められた、何処から湧いて来るか分からん感動を、幹三郎の話はその人間の心から引き出すほどしの話であったと云う事になるのじゃないでしょうか、ね、其処に助かりがあるのである、其処に彼の信心修行が、まあ素晴らしいと言う風に思わなければなりません、ね。
  まぁだ病院から退院致しまして以来、まぁだ少年少女会の、外泊の実習なんかの事をのけのけては、一日も欠ぎません、いわゆる三時すぎに起きて、やはり三時半には此処にちょっと私と二人で出て参ります、朝の御祈念を頂いて、そして事務室に入ります、そして御用をさしてもらいます、もう御結界に誰か代わりはないかって言うと、一番口に幹三郎が来ますですからね。
 もう実はね、神様が喜んで下さると云う事をです、分からしてもらい、行じようと思うけれどもそれが難しいと言うておる彼ですけれども、ね、もう事実はね、神様がもう目を細めて喜びござると云う事、少しぐらい昼もう昼ねっ寝らんかっち言いたいぐらいな、な思いで幹三郎の修行を見守っておって下さるということ、まぁだ十六か十七の言わば、言わば分からない子供、子供と青年の間かぐらいの年配でです。
 ようもそれだけの事が無い命を頂いた、其処を境にでは、と云う事だからではあろうけれども、こう言う修行が出来るもんだと、私も感心しとるです、それでいて尚です、今月の信心の信心、「真心とは神様へ喜んで頂く事だ」と、それを御理解に頂いて、そうもあろうそうもしようと思いぎれども、その事の難しさを今感じておるとこう言うのである、果たして、皆さん取り組んでおるであろうか。
 今月皆さん其処に、お互いが本当に日々をです、こう思いよるがこうしよるが、こう行のうておることがはたして神様が喜んで下さることであろうか、自分のお参りをしておる内容は、本当に神様が喜んで下さる様な内容を持ってお参りをしておるであろうか、自問自答してみなければいけません、なるほど私が全般に申しました様に、願えばおかげを下さる神様であっても、それは神と氏子との間柄と言うか、親であるぞ子であるぞと言う関係を作らして頂かれる事の為に、神様がおかげを下さるだけの事、ね。
 本気で神様に喜んで頂く様な信心がさせて頂きたい、いわゆる本当の信心が分かりたい、本当の信心が分かりたいと、一念を燃やして、はたして信心しておる信心、信者氏子が何人おるであろうか、ね、だからそれをまあ難しいならです、ね、どう言う信心させて頂きゃぁおかげを受けられるじゃろうかと、思いに思い続ける様な信心は、私はまず出けなければいけないのじゃないだろうか、信心おかげを受けたい。
 目先のね、是れが一つ成就する二つ成就すると言った様な、願いもさせて頂きながらです、本当言うとです、いいですか、天地の親神様が私共一人一人の上にかけて御座る願いなんだ、信心しておかげを受けてくれよと言う願いなんだ、ね、そう言う願いをね、ばっちりと受け止めさせて頂こうという、姿勢を作らなければならないと言うのである、神様が私に下さろうとするおかげを、それをそのね。
 一つ十二分に頂こうと言う気になる信心、そう云う信心とは、そう言うおかげを頂くためにはどう云う信心させて頂いたら良いであろうか、どう云う信心を分からせて頂いたら良いであろうかと、遠いもない近いもない、竹内先生じゃないけども、其の事を本当に教えて下さる所があるなら、ね、百里二百里の道を言わば、辿らして頂いてでも、教えを攻と言う様な、私は心持ちがなからなければ。
 神様が下さろうとする様なおかげは頂かれんと思う信心のね、私は目指しをいっちょどう~も此処におかにゃいけん、ね、私共の願いが成就するじゃなくて、神様の願いが成就する、まあそれをね、なら私共の願いが成就する為にでもですたい、一つの願いを立ててどうぞおかげを頂かして頂く為にはです、ね、ならどう云う信心をさせて頂けばおかげが頂けるじゃろうかと。
 一辺お願いしたばってん、五辺お願いしたけれどもおかげにならじゃったっち、もう神様もいい加減なもんばいと云う様なもんではなくて、それを徹底してどう云う信心の姿勢を作った、どう云う生き方にならして頂いたらおかげが受けられるであろうか、おかげが受けられるであろうかと思い続けてそれに精進すると云う事なのだ、私の信心は始めそれであった、どうしたならば、その当時遅配欠配引き上げて帰って、言わば無一物のような状態の中からです、まだ両親がおりますから。
 この両親に喜んで貰いたいばっかりで、言うならば父子変化までも、仕事をまとめてやらして頂いた、もう内地じゃだめ、もう北支に行こうと言うて、北支に行ったのもですまあ言うならうんと儲けさして頂いて、親に喜んでもらいたいの一念がそれであった、それがなんと十年たったら裸の、言わば着のみ着のままではでもないもっと酷い姿で、私共家族四人の者が引き上げてこなければならないと云う。
 其処の時点に立ってです、もう本当に私の思いがね、成就せんと云うならもう目も当てられないと思うた、親に美味しい物一つやわい物一つ、親がこう云う物も食べさせたい、こう云う物も着せたいと思う、それすらも出来ない自分と云う者があま、あまりにも哀れに思えた、ね、其処でその親に喜んでもらうならばです、どげな信心でもしますから、と云うのが、私が言うならならば、真の信心の入り口であった、ね。
 ただだから、親孝行したいばっかりの一念が、ね、どげな修行でもしますと云う事になってきた、そしてですどうすりゃなら親が喜んでくれるかと云う事を一生懸命、お参りもする修行もさして頂く御用もさして頂きしながら、おかげを頂いておる内にです、分からして頂いた事がです、ね、そりゃぁねぇ私はもうそりゃ随分拝みました、私の方の横が樫畑でその横が小さい、上の村に通ずる道がございます。
 あそこを通る人達がですね、「もう兎に角椛目ん、あの大坪さん方達は、何時だったっちゃ柏手ん音がしよる」ち、「金光様ちゃあげん拝まんにゃんじゃろうまんっ、もんじゃろうか」と言うて、人が評判するくらいに拝んだんです私は、ね、だからまず本気で拝まにゃいけんです、心行くまで拝まにゃいかんです、そんなら天津祝詞も大祓いもいっちょ覚えにゃいかんです、
 まぁだあなた大祓いも覚えておりまっせん、そう云う事で神様に一生懸命お願いしとる姿とは言えない、その事をおかげ頂くためにでも、一生懸命に言わば暇さえあれば御神前に出て拝む、心にかかる事がありゃまた柏手打って神様を拝むと云うぐらいな信心、そうさして頂きよったら、愈々信心の本当な所が分かって来た。事は信心とは本心の玉を磨くものぞ日々の改まりが第一ぞと心にぴんぴん響いて来る様になった。
 知っちゃおった、けれどもそげん迄せんでん良かろうと様な気持ちがあったから、改まるとか磨くと云うのは一つも考えてなかった、それこそ泥棒でもおかげを頂ける道ですから、おかげを受けてきたやっぱりそれで、ね、其処から改まると云う事に焦点をおかして頂く様になり、本気でそのもんっ、その事を通して、磨かして頂くと言う姿勢にならせて頂いたら、今度は願いの焦点がまた変ってきた、ね。
 それは教会を中心であるとか、教団を中心であるとか、と言う風に段々変って来るたんべんに私の心が清められて行き、改められて行き、段々させて行くに従って、願いが大きゅうなって来た、ね、其処からです、言わば本当の信心の姿勢と言う物が、かくあらなければならないと云う様なものがおぼろげに分かってきて、それを本気行ずる事になってきた、拝む事も拝んだ、改まる事も改まった、改まる事に精進さして頂いた、自分で自分の性格を二人見るようにと自分が感じれるくらいになってきた、ね。
 どうすりゃおかげが受けられるじゃろうかからでも良いから、ね、どう言う生き方どう言う信心すりゃおかげが受けられるじゃろうかと、思い思わせて頂けれる思い続けさして頂けれる、私は信心が皆さんには欠けておるのじゃないかと思う。 時々月次祭一辺お参りしてから、お願いしてから、それでも結構おかげは頂く、けれどもね、それは皆さんに願いがないから、大きな願いがないから。
 ないからその位願いを立てたら修行せにゃおられん、願いを立てたらお参りしなければおられない、お話しを頂いた上にも頂かなければおられまいと言うのが金光様の御信心、「先生どげな信心すりゃおかげ頂くだろうか」っち言うちから、「なら朝参りでもしてこんの」っち、ならそれが一番本気でちった眠かくさい朝が、朝朝早う参ってくるとじゃけん、けれども「どげな信心すりゃおかげ頂くじゃろうか」っち言うちから一言か二言神様の言葉でもピシャっと頂いてから、もうそれでおかげ頂くごと思うとる、ね。
  昨日ある方から手紙がきた、ね、自分の知り合い筋になる方が大変人間関係で悩んでおられる、それで合楽の話をしたら「一遍是非連れて参ってくれ」と言うから、「一つ連れて参ってくれと云う事であったから、近い内に連れて参ってくるから、よろしくお願いします」と云う事であった、で其の事を私はお取り次ぎさせて頂いて、お願いさせて頂いておりましたら、ね「許す心は許される心」と、云う事を頂いた。
 「許す心は許される心」、ね、そしたら今日参ってきた四時の御祈念、のちょっとお届出で遅くなった、そしたらその時丁度参ってきた、話を聞いてみると大変様々な人間関係で悩んでおられるらしい、ね、ですからね自分自身がそう言う例えば、相手のそう言う難しい事をです、自分がもう少し寛大になり、豊かに大きゅうなって許す気になればね、自分自身が許されるのである。
 それはもう神様に許されるのである、ね、許す気になれば許されると言う事はね、もうそれ、それだけでも、あなた、許す気になったらね、もう自分の心が、はぁという楽なのんだろうかと、もうそこに許されたわけなんです、あいつがあれだとこう思うっておった、あれが売れさえせにゃ俺んとこの店はもっと繁盛するのにと思いよった。あれが何時もスパイのごたる事ばっかりしてからと思うて、そう云う事をですもうそれこそ、ではなくてもそれを思うて自分の心がやるせなかった。
 だからそんな事はもう神様にお預けして、もう許す気になれと言うのである、ね。許す気になれたら自分の心が楽になるんだけれどもさあ、許す気になれない所に信心修行がある訳です、ね、もう許しゃぁもうその場で許されるのです、同時にもっと素晴らしい許されると云う事はです、自分の心の使い方の、が自由自在に、使えれる事を許される、お金を持つ事を許される、健康である事を許される、食べる事を許される、もう全てが許されてくると言うう体験がですね、其処から生まれて来るんです、ね。
 いんやもう是れだけは許されないと云う様事では、あなたは地獄だと云う事になる、ね、許されない方も困るなら、許されんと言う方も難儀である、それを許せれる道を付けて下さるのが信心なのだ、ねですから分かるとは分かるばってん、中々ねそれが自分自身が助かる、はぁ先生が言うじゃったげなもう許す気になろうじゃ中々ならんのだ、だからその許す気になる事の為に、一つ暇をみてから参ってきなさいって今日も話た事でした、ね、神様に許さなければ自分の心一つがどうにも出けんのが人間なんだ、ね、
 だから一つ皆さんどうでも、その願いのためでよい、だからその願うたならばです、その願いが成就する事の為に、どう言う信心をさせて頂いたらと打ち込んで行きよると自のずとですね、一生懸命拝むごつもなる、ね、早ようから来るごとなって来る、そしてなおかつ、どうしたらおかげ頂くじゃろかと話でも一遍でも聞くごつなる、そこからです、改まればならん事も分かる磨かねばならん事も分かる、ね。
 私共の心が、いわゆる信心に向いて来ると云う事になって来る、そすと今度は願いの焦点までが変って来る、ね、そして最後の所のぎりぎりの所は、天地の親神様が大坪総一郎私に下さろうとするおかげが成就する事のために、修行さして頂こうと言う事になる、ねですからね其処ん所のおかげを頂く時にです、これは夢にも思わなかったと云う様なおかげになって来る。神様が下さろうとするおかげはそういうおかげなんだ、ね、
 其処でですそう言う様々な是れは、まあ真宗何ち言うですかね、親鸞聖人じゃなかったあぁ日蓮上人じゃったね、日蓮上人なだったか親鸞聖人じゃったかね、此のぉぼろぼろの雑行を止めろと言う風事とを、あぁ連妙上人と言う方が言うておられますね、おだぇお弟子さんですえ今の真宗を、おぉ浄土真宗を言わば愈々大きなものに、していくまあ途中の宗祖という方なんでしょう、ね。
 雑行所謂そのお願い信心なんてんなぁもうこりゃいけんと言う事を言われた訳ですね、ただ南無阿弥陀仏一つに帰依すればいいんだという風に言われたんです、ところが私は今日その、いわゆる雑行なんである、ね、拝む事も奨励せにゃん、修行する、そんために修行もよかろう、ね、一生懸命お参りもよかろう、一生懸命御用をさして頂く、一生懸命お話を頂く、そしてあれでもなかろうか是でもなかろうかと。
 自分でそのどうすりゃ信心しておかげを受けられるかというその、おかげの焦点を目指してそれに迫って行くところの信心をする、ね、その辺の所はもう大変楽しいんですよ実際は、ね、もう(?)柏手打って御神前の前に出て御祈念するぐらい楽しい事はないです、もう五巻十巻大祓いを上げよってから止めんごたるごと楽しゅうなって来るです、本当に、ですからそう云う所もやはり通らにゃいけん。
 これ雑行かもしれないけれど、そうして段々段々願いの焦点も変って来る様になる、改まる事も分かる磨く事も分からして頂いてです、所謂神の願いが地上になると言わる、神様の願いが氏子一人一人の上に成就する様なおかげを頂かせて下さいと、気付かして頂く様な信心になって来る、ね、其処から本当の信心、それをそこん所の信心が、今日幹三郎がお話をした事はそう言う大変な素晴らしい事をお話したんです。
 もう雑諸々の雑行と言うとは通り抜けとる現在なら、幹三郎自身がやってる訳なんだ、人の真似ん出来ん様な拝み方も、人の真似ん出来ん様な修行でもさして頂いておるんだ、それで、真心とは神様へ喜んで頂く心をと言うのだからその神様に喜んで頂けるような心とは心とはと訪ね求めてそれが分からして頂いてもなかなか五体が言う事を聞かんと言う所までいってる訳なんだ、
 これはもう一番最高の所なんですよ、此処はだからまだ、十七十八でそれが出来るはずはない、また出けたら大事じゃと私は思う、ね。そこからのね、私は信心の所までお互いが到達さしてもらわにゃいけん、そういう信心を繰り返し繰り返し、今日もまた失敗だった、今日もまた失敗だったと言いながらもです、そこん所を神様の喜んで頂けれる心とは、神様が喜んで頂く信心とはと求め求め求め続けさして頂いておればです。
 そこからね一つ分かり二つ分かり三つ分からして頂いて行く内に、神の願いが成就すると云う事はこう云う事かと云う様なおかげが展開して来るんですよ、と云う事を私はその佐田さんが、ね、幹三郎の話を聞いて感動したと、感動しておられたら、神様から此の様なお知らせを頂いたと言うてお届けをされるのを聞いて、ははぁこれは最高、思考の信心だと、云う事になってきた、ね。
 例えば幹三郎が今日お話を致しました様な生き方にならせて頂いたら、いいですか、朝の三時半にお参りをする、昼寝はせん、つの御用さしてもらう、そう言う生き方、それだけでも御用はもう、ほんにまちっともうそげんせんでよかがっち言うごと一生懸命に成ってる訳です、ね、どうすりゃおかげを頂ける、受けられるじゃなかん、もうそれはまあ当たり前の事ととして、命を助けて頂いたお礼として、それも出来るわけ。
 それでもなおかつ、神様へ喜んで頂く信心とは心とはと求めておるけれどもそれは出けない、出けないけれども倒れ転びしながらそれに取り組んでおるということなんです、ね、そしたら神様がね、こう言う生方で行きゃぁね、道無いところに道がつくと仰ったそうです、素晴らしいでしょうが、ね、付いて道が付く様なおかげになって来る、その青の洞門のようにね、石で固めた様な中にでも、それこそ人の身人の身を持って、人の一念を持ってあの、青の洞門がくり貫かれた様にですね。
 そう言う私共が、ね、幹三郎がやっておる様な修行さして頂くなら尚且つですよ、ね、神様が喜んで頂ける様な信心とはと、求め続けて行くならば、道無い所に道が付き、とても掘せそうにもない所が、その人間のいわゆる人力を持ってですかね、精進努力を持って、其処を突き、ほ、ほがして行く事が出来る、そして向こうの方へずうっと限りない道が開けて行く、所を御心眼に頂かれたとです、ね、
 私は本当に素晴らしい、金光様の御信心は此処に至って来る時です、もう本当に限りないおかげが限りなく頂けて来る、言わば、人と言うものは、その様にして出来る事だと、其処でなら皆さんの信心を思いて頂きたい、ね、だからおかげ頂きたいからでもかんまんのだ、だからおかげ頂きたいが、おかげを頂く為にはどう言う信心をさせて頂いたならよかろうかと言う一念に燃えろと云う訳なのです、ね。
 そしてね、一ヶ月参った一年参った、まぁだおかげ頂かんっち言うて、イライラするようなこっちゃいかんっちいう事、そうして行く内にです、ね、本当の信心が段々身に付いて来る分かって来ると言う、進展を遂げて行く所のおかげにならにゃいかん、してみると皆さんまず第一拝み方が足らんお参りが足らん、御用が足らんそういう事になるのじゃないでしょうか、成る程おかげは頂かれんはずだと。
 今頂いておるおかげは泥棒がおかげ頂いたごたるおかげだ云う事にも言える事はないです、何故って信心の一も二も、出けんのにそのものがおかげ頂きよっちゃ、ね、ですからねそこの所のです、ね、おかげを頂かせて頂く為に、是は私が過去において戻らして頂いた様にです、ね、どの様な事があっても屈せない、どの様な事があっても、ね、これ程信心するのに等するのにという様な事は思いもせんで。
 是れはまぁだ信心が足りんのだと思うて、其処を乗り越えして行くと言う信心、ね、其処から青の洞門のような、とても人間の、当時ね、青の洞門をくり貫く、それこそ人は馬鹿のように言うたでしょうよ、鑿一本でほがして行こうと言うのだから、ね、それこそ教祖様の奥城に参らして頂いて拝まして頂く、教祖様の遺号ですね、贈り名が、「人力おどしのみこと」とあります、人間の力を持って世の中をおどろこすほどしのおかげになって来る話に肉を付けると。
 今日私が申しました様な事になるんですまぁだまぁだ、佐田さんが頂いておられる事をもう少し、理解付けるならもっともっと、素晴らしい事になってくるのですよ、だからたったあれだけの事に、ひくものうして感動させるものがあったと言う事はそう云う事ではなかろうかと私は思うです、ね、おかげで拝む事とが足らんお話を頂く事が足らん、御用が足らん、おかげは頂きたいと言う事になったらね
 是がね一生出来るんですよ、本当にそしてそう言う風にばっかりの人が、良うならんと一生泥棒で終わらなんかっちゃ決してそうじゃない。私は昨日ある方がもう今日は愈々山だともう今日がもう愈々修行にきつい所だと、どうにも目当てもなからなければ目安も付かんとこう言われる、それで私はお届けを終わらして頂いて、自分もゆっくりしてもう一遍御理解頂きたいと言うごたる風で御理解頂きより御座いましたから、丁度此処でお届け終わってかその方を共のうて、私のあの茶の間にやらして頂いた。
 お小事でもさし一緒に頂きながら、私と高橋さんと繁夫さんその方と四人、四人でしたその方に私は申しました、私共この二十日に菊栄会の信心実習会で、佐賀方面の窯元の訪問した、丁度お昼頃もう佐賀に入ってからだったでしょうが、あぁ軽い食事さしてもらおうと言うてレストランによった、よったらすぐその席を取っておる横へ、その古賀さんのお隣に天理教会がある、その天理教会の先生が、たまたまそこに「あら古賀さんどこ行きですか」っち「今日は窯元めぐりです」と
 「私共の信心ころくで窯元めぐりがあります」っち言う「そんなら私が案内しよう」っち言う、此の方がもうとにかくまあ大変なもう七・八年その、焼き物のことを勉強してて、まあ言うならば評論家ですね焼き物の、こりゃもう焼き物あの、主人なんかもペコペコしてる、全て本当の事が分かられる、まあそう言う方なんです、そう言う方が私共が全然知りもしなかった窯元へ、えぇ丈岡と言われる。
 お山路かお山路と言う窯元にご案内を頂いて、もうそれこそ造る所から、あの絵を書かれ所から、もう一切説明して頂き見せて頂いて、そしてその作品、展示してあるところに、これは大物ばかり、これは十万円これは二十万円といったようなものがずらり並んでおる所へ案内して頂いた、これはもう私はだいたいはあの何でも買わん主義ですがね、皆さんがご承知のように、けれどもなら十人連れて行っとるけれども。
 この達なら一万円ものんでもいっちょ買おうかっち言うごたる現金のある人はありませんもんじゃから、「どうもすみませんでした」っち言うちから、帰って来る訳にはいかんごつなったっじゃ、それからなら抹茶茶碗ならってんと思うちからいっちょこれをかっ、これはまあ四・五千円ぐらいなら買おうと思うてね、そしたら「それ一万八千円で御座います」っち言わっしゃる。
 でこれも一万どれでんそうじゃ、はぁと思うちからね、「そうばってんまあお買い頂くなら一万五千までにいたします」っち言わっしゃる、考えてみるとほんにお抹茶茶碗などかしこあるじゃろう分からんごと頂いておりますからね、それで一万五千もこう馬鹿らしいこっちゃあるなぁと思うておりましたら、
 最後にこういう壷をを一つまた持ってみえられた新たに、所がそれがもう痛く私の心を引いた、「これいくらですか」っち言うたら、「八万円」っち言う、ちゃんとですね美術名鑑かなんかっていうのがありますよね、そういうもう有名な陶芸師なんです、ですからその方のつが、は一杓のもの、一尺の壷を作ったら二十万円、二尺の壷を作ったら何十万円っち、もう評価がしてあるわけです、ね、
 ですから評価通り行くと八万円もするです、「けども先生お買い上げ頂くなら五万円でよう御座います」っち言わっしゃるが、私が気前よう、「うんならそれをいっちょ頂きましょう」っち、そんな金持っとろうと思いなさったろうち思う、(笑)、そら五万円もするとばスパッと買うたのじゃからね、それでもうああた皆に、そりゃ誰にでもこうお茶も出たが、もうお土産までことづけち頂いた。
 したら帰り道には、「先生これはあなたの御飯茶碗になってんして下さい」っち言うち紙に包んでから渡しなさった、自動車の中で開けてみた所が、さっき聞いたばっかりの一万八千円の茶碗じゃった、だからそりゃ八万円のが五万になり五万のが言うなら三万五千円になったばいち、これを自分で楽しもう自分で嬉しいとは思わなかった、時私が直感したのはね、御普請も出来よる御本部に、金光様が非常にお好きなんだから。
 この頃お病気、入院された時には、あの柿右衛門の人形を送らして頂いたらもう、豊美が言う事を聞きますとね、もうそのあの人形が大変お気に入って自分の部屋にちゃんと飾ってご覧になっておると云う事で御座います、だから此の私に気に入った此の壷をね、金光様に、新築の折の時に差し上げれる、たらお喜びになろうと思うたから、ほんなこつなら五万の八万でんよかと思うくらいのもんでした、それで今私はその茶の間に飾って見せて頂いておるが、見れば見る程やっぱ良い様です、ね。
 もう一見もなんでもない、言わば唐津焼、唐津風の焼き物ですから、そんなぁことないけども、見よれば見よるほどやっぱり力がありやっぱり良いです、ね、だからそのその事をね私は昨日、御飯を頂きながら、もう山でどうにも出来ないと言うその人に話した、ね、こう言う例えば陶芸の方がです、それはもう勲章みたいな、こげんとでっちゃやっぱ一万か二万ぐらいであるでしょうね、四・五千円であるかもしれません、けれどもちゃんとこういう帳面にのる様になる、それでんのる様になったらもう骨が折れん。
 私の作ったのは一尺のものを作れば、もう二十万円と言う、しかもそれは半年半年にだんだん上がって行くそうです、だけど天理教の先生が私に言わっしゃった、「先生それはもう投機の積りでお買いになさいませ」と、「もう来年にはいくらになりますよ」っち、言うて私はそんな事は思わんですけどね、投機の意味合いにおいてでも、ね、財産作るの意味合いにおいてでも、買うとって損はせんと言様な、言わば陶芸師であり、また作品なのでありました、ですから其処までね。
 私共がのり超えさして頂いて、そう言う帳面の一つにでものる程になるとです、○○さんもう後は骨が折れませんよっち私が言う、今先やらか言うた様な雑行色んな事無くても、もうそう言う神様から一つの評価がされる様になったら、そしたらその人が言うごっちゃ、ある美術年化の一番始めにそれはもう、ね、絵とか書のまあ何とかかんとか、書かっしゃる人んつんとはもう大きく書いちゃるわけ。「ただ親先生の信心ばもしこげな、評に現すならこげんとこに書いちゃったでしょ。」
 っち言うちからその方が言われるわけ、ね。ではなかってもですおかげで骨が折れないでしょうがと云う事、だから其処まで行くと後は楽になるです、作っても作ってもどこどこから注文がちゃんとくる、しかもガバァ~ッと五万十万入ってくる、ね、そういうおかげの頂けれる基礎を今こそあなたが作っておられる時だと言うて、まあお話しをした事です、ね。ですからそれにはどうでも、信心のね今日ももういっちょ、幹三郎がお話したあの内容をね。
 後やら先に話した事を、私は今日をそれを理解付けてお話しを致しました、肉付けをしてお話しをすると、今日私がお話をした様な事になるのです、ね、ですから私共がまぁだ拝み方が足らん御用が足らん、言わば足らないづくめであると云う事を気付かして頂いて、そんならそれを本気でやる気になったら決して難しい事じゃないと云う事、楽しいと云う事ね、そういう信心を愈々身に付けて行かなければならんなと思うので御座います。
     どうぞ。